松平容保は、
「国の秩序を守り、人々を守るため」に
徳川への忠義を貫こうとしました。
しかし時代は、
もはや誰の正義も通らない混乱の中にありました。
彼が幕府のために動けば、
それは「朝廷に逆らう行為」とされ、
やがて会津藩は「朝敵」の汚名を着せられます。
結果として、
会津の町は焼かれ、
多くの民と家臣が命を失いました。
ここで彼が背負ったのは、
ただの敗北ではありません。
「自分の正しさが、
守りたかった人たちを苦しめてしまったのではないか」
という、
取り返しのつかない問いでした。
彼は、
誰かに命じられたから戦ったのではありません。
「自分が選んだ忠義」によって、
多くの悲しみが生まれてしまった。
だからこそ、この無念は深いのです。
逃げれば楽になれたかもしれない。
でも彼は逃げなかった。
その痛みを、すべて自分で引き受けたのです。

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